キリングフィールド


トゥールスレン博物館の建物です。
このような建物が4棟あり、外から見ただけではただの学校(徴用されるまでは高校だった)に見えます。
2万人が収容され、生還したのは6人だけだったとのことです。


クメールルージュ(ポル・ポト派)のメンバーが収監され、拷問された部屋です。


ベッドに置かれたパネルは、トゥールスレン博物館(当時は尋問センター)が解放されたときの写真です。
惨たらしく惨殺された犠牲者が写されています。
分かりにくいですが、床には血の跡が黒い染みとなって残っています。


本来は運動設備ですが、絞首台として使用されていたそうです。
下に置かれている瓶も、当時使われていたものとのことです。


犠牲者の一部の顔写真が展示されています。


ポル・ポトの胸像です。
分かりにくいですが、顔に大きく×印が書かれ、後ろ側には落書きがありました。


一般市民向けの個室です。
元教室を煉瓦で20室ほどに区切っていました。
床には拘束用に使われた足輪とチェーンが残されています。


生還した人の証言から再現して描かれた拷問具を使っている様子と、実際に使われた拷問具です。


犠牲者の頭蓋骨で作られた、カンボジアの地図です。




通称キリングフィールドと呼ばれる、処刑と埋葬が行われた場所です。
入り口で施設維持費を支払って入場したすぐ、目の前に立派な慰霊塔が見えます。
近づくまではその中身が分からなかったため、中を見てショックを受けました。


慰霊塔の中に安置(とは言いにくいですが)された頭蓋骨です。
日本人犠牲者のものも含まれています。
ガイドのおじさんのサービスが良すぎ、写真写りがよいように並び替えてくれますので、逆に退いてしまいました。


慰霊塔の内部です。約9000の頭蓋骨が安置されています。


分かりにくいですが、発掘した跡にガイドのおじさんが降りて、人骨を手に持っています。
犠牲者の衣類や骨が所々で地面から顔を出しています。


発掘跡がそのままに残されています。
まだ半分以上が発掘されておらず、1万人以上の犠牲者が眠ったままになっています。



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